ボストン美術館 日本美術総合調査図録 図版篇
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1935)が収集し寄贈したものも、14点と少なくない。 ボストン美術館が所蔵する日本染織品については、長年にわたり様々な機会に調査を続けてきた。その内容は、数の多さのみならず、種類の豊富さ、質の高さにおいて、アメリカ国内だけでなくヨーロッパも含めて、海外における最も大きな日本染織品コレクションというべきものである。総点数は400点以上にのぼり、そのうち衣裳類では能装束が約100点、小袖・着物類が約50点、近世の舞楽装束や宮廷装束が数点ずつ含まれている。また袈裟が約100点、袱紗約60点、そのほか裂類なども含まれている。 これらの多くは、ウィリアム・スタージス・ビゲローから寄贈されたもので、同じくボストン美術館の日本美術の中核を形成することになったエドワード・シルベスター・モース、アーネスト・フランシスコ・フェノロサのコレクションに染織品が含まれていないのと対照的であり、ビゲローが日本の染織品、特に衣裳類に強い関心を抱いていたことがよくわかる。それは、ビゲローのコレクションに、小袖雛形本を含む約300件の江戸時代から明治時代にかけての染織に関連する冊子資料が含まれていることからもわかる。 袈裟類についても、ビゲローが収集したものが多い。過去に自分が行った調査において把握できているものでは、ボストン美術館所蔵の袈裟類102点のうち33点と約三分の一を占める。ただし、能装束では137点中66点をビゲロー・コレクションが占めるから、それよりは割合が低い。袈裟ではビゲローの外にも、ハーバード大学の美術教授でボストン美術館の理事も務めたデンマン・ワルド・ロス(1853〜また寄贈者の詳細は不明ながら、スコット・フィッツ夫人から寄贈されたとされているものが19点、同じくブリス・ナップ夫人から寄贈されたとされてい1920年代初頭に博物館に寄贈されていることであるものが23点ある。 注目すべきは、これら主だった寄贈者のコレクションのうち、ブリス・ナップ夫人から寄贈を受けたもの以外の、ビゲロー・コレクション、デンマン・ワルド・ロス・コレクション、スコット・フィッツ・コレクションの袈裟は、いずれも1910年代及びる。寄贈時期からボストン美術館所蔵の袈裟類の大部分は、明治維新をきっかけとする文化財の海外流出に伴いこれらの人々のコレクションとなり、やがてボストン美術館に寄贈されることになったと考えられる。 明治維新となり廃藩置県が行われると、東京在住の各藩主は一斉にそれぞれの国元に帰国し、彼らがそれまで住んでいた旧江戸屋敷は空き家となり、東京の地価は暴落した。移動にかさばる家財道具は処分され、いわゆる大名道具が古美術品市場に大量に流れ出した。 一方、神仏分離と廃仏毀釈が行われたことによって、宗教的な理由からもまた経済的な理由からも、寺院において信仰の対象物であった仏像や仏画、そして仏事に使用される物具や僧侶の袈裟などの売却が行われた。 しかし、こうした状況では日本国内では古美術の価値評価は成り立たず、実際に経済的に困窮した旧大名や寺がこれらを換金処分しようとしても、二束三文に買いたたかれるばかりでなく、買い手を見つけることすら容易でない状況であった。こうした状況下で、これらの文化財に関心を持ち購入したのが、政府のお雇い外国人として来日していたモースやフェノロサ、また彼らに影響をうけて来日したビゲローらの人々であった。 ビゲローが、1882年、87年の一時帰国を挟んで、長崎 巌80ボストン美術館の袈裟・横被

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