ボストン美術館には仮面類が203面収蔵されている。そのうち166面が能・狂言面で、点数からいってもこれが、同館の仮面類の中核をなすものであろう。1994年4月26日から5月17日にかけて、同館のアン・ニシムラ・モース氏等スタッフの協力を得て、全点の調査を行ったが、そのうち経年の損傷が認められるものがあり、翌年8月から9月にかけて、修理調査として、能面作家橋岡一路氏の同行を願って、ふたたび同館をおとずれ、今度は能・狂言面のみの調査を行った。その後修理の運びとはならなかったが、調査はかなりはかどったので、ここにその報告を兼ねて所感を述べておきたい。 まず台帳によってその収蔵の経緯をみると、能・狂言面の大部分がウィリアム・スタージス・ビゲローの寄贈であり、またその大部分が台帳番号によって、1911年同館の所蔵品として正式に登録さとってその伝来の枠組を知ることはかなり重要であるが、各面の原所在と収集の経緯については、ほとんど知ることができない。 ここでは面自身のもつデータのみによって、まずグループ分けを試みる。a)裏に「弥」の字を朱書するもの番「東江」、56番「真角」、58番「怪士」、62番「千種怪士」、70番「瘦男」、72番「平太」、81番「中将」、番「泥眼」、130番「山姥」、154番「登髯」、以上16面。b)裏に「鉄」の字を朱書するもの□1□れたものであることがわかる。能・狂言面の研究に「邯鄲男」、93番「童子」、99番「頼政」、以上9面。c)裏に「宮田筑後」の焼印を押すもの尉」、35番「長霊癋見」、41番「顰」、46番「小天神」、「童子」、97番「猩々」、100番「頼政」、114番「万媚」、120番「深井」、以上14面。 これら3種のグループのそれぞれ多くに共通して面の名称を墨書した紙片を貼付するものがある。紙片の大きさや貼る位置に変化あるものの、それらの状態には同種の趣がある。近世諸大名の所蔵していた能・狂言面には作家以外に所蔵者や管理者のサインのある面が多く、「弥」や「鉄」はその類いかと思われる。「宮田筑後」の印はいうまでもなく能面作家のもので、これについては後で述べるが、こうしてみてくると、これら3群は同一の所蔵者のものであった可能性が高い。面の種類や作者、制作年代等からはなかなか弁別しがたいが、以上のほかにもこの一群に属すべきものがあってしかるべきであろう。そしてこの一群がいわゆる大名面の一を形成していたと考えてよいであろう。 第3のグループを形成している宮田筑後の作品群は、この一群の性格をある程度想定せしめるであろう。 宮田筑後なる面打ちについては、1797年出版され、以後の能面作家研究におおいに利用された喜多古能の『仮面譜』に「近江弟子、宮田筑後、京都ニ住ス」とあるのが引用される以外、ほとんど記録されていない。したがってその作品もあまり知られて43番「黒髭」、59番「怪士」、65番「三日月」、76番 10番「朝倉尉」、14番「石王尉」、19番「鷲鼻悪52番「野干」、79番「若男」、84番「十六」、94番(一)(二)田□三郎助100 16番「三光尉」、24番「大飛出」、42番「顰」、5588番「中喝食」、92番「小喝食」、98番「頼政」、125 17番「三光尉」、21番「大飛出」、28番「大癋見」、ボストン美術館の能・狂言面
元のページ ../index.html#170