ボストン美術館 日本美術総合調査図録 図版篇
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4444444いないのが現状である。ところがここに14面もの作品がまとまっているのである。試みに日本に伝存するこの作家の作品をとりあげてみると、はもと筑前・黒田家、4〜6は備前・池田家、7は伊予・久松家、8は土佐・山内家の旧蔵で、いずれも西国の大名家であることが注意される。作家が京都在住であるのと考え合わせて、この一群が京畿乃至西国の大名面の一と想定できるのではないであろうか。 それはともかく、宮田筑後の作柄は、まさに能楽最盛期つまり16世紀末〜17世紀初の作家達の作品に比して□色のないものが多く、「天下一」の称を許されていた兒玉近江の弟子と考えてよいであろう。ただ総体に眼鼻の輪郭などの彫りが強く、ボストン美術館の10番「朝倉尉」や52番「野干」と思われる異形の面などは異様な趣を帯びて品位を落としている。なかで長霊癋見はボストン美術館と東京国立博物館とほとんど同じように肌に小さい窪みを散らして表現に変化を示しており、これが筑後の発案とすれば興味深いものがある。 この一群にはほかに何人か著名な作家の面が含まれているが、この時期に江戸で活躍した作家の作品は、他の大名面に比して少ないが、なかでは出目洞白の6面が注目される。1.東京国立博物館 ·········· 長霊癋見2.国立能楽堂 ····················· 瘦男3.福岡市博物館 ··············· 大癋見4.岡山・林原美術館 ····· 童子5.同        ····· 姥6.同        ····· うそぶき7.愛媛・東雲神社 ·········· 小面8.高知城歴史博物館 ····· 長霊癋見9.石川・個人 ····················· 大飛出10.大分・個人 ····················· 小飛出11.海外・個人 ····················· 生成12.同     ····················· 小尉□2□の12面が知られるにすぎない。このうち3.の大癋見 焼印が3種用いられており、72番「平太」に「天下一淡路」、16番「三光尉」と98番「頼政」、125番「泥眼」の3面に「出目淡路」、62番「千種怪士」これは何を意味するであろうか。中村保雄氏によると洞白は1672年に「天下一備後」を受領し、その後「天下一淡路」も受領、1682年の「天下一」使用禁止以後「出目備後」「出目淡路」を使用していたが、その後剃髪して「出目洞白」を使用するにいた何時頃から使用されているのかはまだはっきりしていないが、いずれにせよ洞白の円熟期の制作であるでも作品を多くのこしている大野出目家でも、4代洞白満喬は「天下一」も受領したすぐれた作家として著名で、その堅実な彫技はボストン美術館の諸作にもみてとれる。たとえば、貼紙に「たか」とある面は、千種怪士といわれる金剛流の本面のなかで独特な写実性を示す名物面の写しであるが、本面のこめかみにある植毛痕など細部はおいて、怪士のもつべき霊的なつよさいる。鷹(怪士の一種)とされたのもうなずけよう。4面、2代友閑1面、4代洞白6面、5代洞水5面、6代利栄満等の名だたる作家のものは勿論、井関系統では「イセキ◇」のサインを持つ古面2面がある。12番「皺尉」は同種の面のなかではあわれさ現で、124番「眉顰」はそれがきわ立って、ともに室町時代後半の時代相にふさわしくながめられる。この系統の代表的作家である河内の作品は含まれておらず、1921年に至って136番「般若」が館蔵に加えられ、その弟子の大宮大和の作も1面のみであったのが、のちに1面加えられており、他の有名作家の作品も同様に何面か加えられている。 アン・ニシムラ・モース氏は岡倉天心がビゲロー所蔵の仮面コレクションの調査を行い、美術史的観たしかに1905年登録の66番「蛙」、95番「童子」、8と88番「中喝食」に「出目洞白」が押されている。 1911年登録の全体でみると、大野出目の初代是閑を強調して、独自の境地を示して□3□る。1715年81歳で没したとされる□4□ことはまちがいはないであろう□5□甫閑1面、越前出目は2代元休満茂□6□点から補強すべき点を検討したことを述べている。これらの印が。世襲面打家のなか、兒玉近江、古元を伴う表が、(三)(四)101

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