れば、一山一寧賛の49番「白衣観音図」は、舶載された中国絵画か、日本で描かれたものかについて議論のある作品だが、絹の変色と顔料の剝落などにより、展示室ではよく見えない。調査のときも、額装のガラスは外せなかったが、さまざまな方向から光を当てながらの観察で、観音の頭部などに顔料の剥落があり、竹葉に緑青が塗られていたこと、また衣文を描く金泥の線や、岩を作る墨の面などのクオリティの高さを改めて確認できた。製作地については、素直な線と墨の面の感覚からして日本と思われ、「生の中国」がまだ近いところにあった禅林の気分が如実に感じられた。この時期には、観音を中心に「仏画の水墨化」ともいうべき現象があるが、そのなかの特徴ある作例といえる。 雪舟が拙宗と称していた時代の20番「三聖・蓮図」の三幅対は、左右幅は別の絵から切り出されて後で組み合わされた可能性が指摘されるなど問題の多い作品である。ちょうど同じ分野を研究している福島恒徳氏と城市真理子氏も来ていて、ほとんど半日をかけ透過光での観察を含めて、紙と墨そして印の状態などを見たのだが、いくどかの損傷と修復・補筆が複雑に重なっており、原状を推定するのは目視では不可能だった。「分からないことが分かった」だけなのでさらなる調査が必要だが、これだけ手をかけて保存されてきた拙宗の作も珍しく、作られ・傷み・見いだされ・直される複雑なプロセスは興味深い。雪舟落款のある21番「寿老図」は、再発見されて話題になった作品で、残念ながら筆致からして真筆とはいえないが、図様と筆線の構成は、原本を忠実に写していると考えられ、作例の少ない雪舟の人物画を考える縁となることが確認できた。 前述の「逸伝画家の優品」のなかからひとつだけ挙げれば73番「雛鷹図」。鷹の雛を描く繊細な墨線や、緑青を薄く溶いて塗る葉の緑などの淡彩が心地よい、室町には珍しい柔らかな色彩の小品である。画中の印は長柳斎のものといわれるが、画家についてはまったく知るところがない。 鹿島美術財団の援助によるボストン美術館所蔵の日本美術品調査は31年間にわたる画期的なもの(四)151だった。『ボストン美術館日本美術調査図録 第1次調査』(講談社、1997年)の刊行からほぼ四半世紀が経って、その全体像が公になるのはまことに喜ばしい。その後、作品調査の技術は大きく進歩した。絵画でいえば、かつては目視とリバーサルフィルムでの撮影を主に、X線・赤外線撮影や実体顕微鏡による観察が加わるくらいだったが、その後高精細のデジタルカメラによる撮影や、X線撮影のデジタル化、蛍光X線による顔料分析、C14による支持体の年代分析、デジタル顕微鏡による顔料や紙の微視的な観察など、多くの手法が一般化しさらに加わりつつある。とはいえ美術の場合、調査手法の標準化、得られたデータの解釈の定式化はなかなか難しい。そのような中での、20世紀末のデータブックとして活用して頂ければ幸いである。
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