自ら狩野永悳の門弟となり、永探理信の号を授かったアーネスト・フランシスコ・フェノロサは、狩野家歴代の系譜とその遺品に深い関心を持ち、始祖正信から狩野宗家の最後となった永悳に至るまでの一族・門弟の作品を網羅的に収集することに力を注いだ。その成果をボストン美術館の狩野派コレクションに見ることができる。私が山本英男氏と共同で調査した初期狩野派の作品は、狩野正信から興以に至る戦国・桃山時代の狩野派作品90点である。ちなみにこれに続いて河野元昭氏を中心に行われた江戸時代狩野派の調査は、総数438点に及んでいる。 まずは正信とされる作品5点、うち1〜3番の3点は正信の様式を伝える流派の作と見た。4番「布袋図」は横川景三の賛があり、1479年の作と推定される重要作品、正信との関係は検討を要するが、釘頭描による筆線に力がこもる。 元信とされる作品は23点。うち5番「観音図」は元信の代表作の一つに数えられるべき秀作、6番「宗□像」は、有名な連歌師の面影を描いた点でも注目される。7・8番はともに元信の直筆と認められるもの。以下、27番までの諸図は元信門弟の数の多さを物語るもので、筆者の同定は今後の課題である。雅楽助筆と伝える作品が10点ある中で、29番「松に麝香猫図屛風」は、サントリー美術館にある「麝香猫図屛風」と対になる名品として注目される。30番「松に鴛鴦図屛風」は、元信の楷体画風を一層固くしたような厳格な画風が印象に残り、の稀小な彩色花鳥図屛風である43番「花鳥図屛風」は保存状態に難があったが、修理により見やすくなった。44番「花鳥図」のような小品の佳作もある。45番「京名所図等扇面」10図は、洛中洛外図屛風の中に松栄の作品を見出す上で重要な標準作。以下、長吉、玉楽、官南、養拙、玄也ら、松栄の周辺で仕事したとみられるマイナーな画家の作品を、フェノロサは丁寧に集めているが、中に、栗にリスをあしらった長吉の小品(48番)や、菊に小鳥をあしらった養拙の花鳥図(53番)のような傑作も混じる。玄也の小品(56・57番)も捨てがたい。 豊臣秀吉の豪奢趣味を反映した金碧人物屛風として永徳筆と伝える屛風がある。58番「韃靼人朝貢図屛風」六曲一双はその典型である。59番の同画題による二曲屛風は、画風が58番より力強く、永徳ならずとも山楽と同時代の作品として注目されるが、沖合に進む華麗な船が描いてあり、泉万里はこれを、南蛮屛風につながる画像とみなす(泉万里「唐リアム・スタージス・ビゲローにとっても永徳の水墨屛風は入手困難だったようで、小品ながら筆致きわめて優れた64番「調馬図」に辻は永徳自筆の可能性を見出している。 宗秀、光信、貞信と伝えられる作品には、残念ながら見るべきものがなかった。 山楽と伝える6点にも、まさしく山楽というべきものは見当たらなかった。80番「鍾馗図」は、土居次義氏の指摘する「友松風山楽」の一例とみるべきか。ただし、印がよいのに対し筆致はやや粗略に見える。保存の極めて良い82番「羯鼓催花・文王作庭図屛風」は、山楽というより、光信周辺の画家を想定するべきだろう。美女を麻姑仙人にやつして描く83番の図も山楽に関係ないが、寛永風俗画の1.初期狩野派34番「花鳥図屛風」との関係など、課題を残す。38番「布袋図」は宗信印を押す珍しい作品。松栄辻 惟雄船図の継承―大織冠図展風をめぐって」大阪大学文学部美学科『フィロカリア』5号、1988年)。だがフェノロサやウィ166ボストン美術館の初期狩野派・桃山諸派
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