ド(1875〜1911)が購入し、1911年にボストン美術館祐(1675〜1710)、光芳(1700〜22)、光時(光淳の子、宗孚(1780〜1852)、光清(1805〜62)、光文(光清弟、宗家 この章にまとめたのは、近世の大和絵系の各画派を中心とする71点の屛風絵、掛幅、巻子およびその断簡、模本類などである。その内訳は、一部に室町に□る図を含む三十六歌仙画帖から桃山、江戸初期にかけての大和絵が6点、宮廷絵所絵師に復帰した土佐光起以降、江戸末期の土佐光文に至る土佐家代々および門人が26点、住吉具慶から幕末の住吉広賢に至る住吉家代々およびその門人、支流の板谷家などが24点、田中訥言、浮田一蕙、冷泉為恭およびその門人を含む復古大和絵派が9点、その他の筆者不明の絵巻および断簡類が5点である。 旧蔵者また寄贈者は、単独の寄贈者のみで数えると、ウィリアム・スタージス・ビゲローコレクションが45点と半数以上を占め、次いでフェノロサ=ウェルドコレクションが19点で、フランシス・ガードナー・カーティス夫人、元ボストン美術館館長のヤン・フォンテーン氏などが続く。アーネスト・フランシスコ・フェノロサとボストンの富裕な医者であるウィリアム・スタージス・ビゲローは友人同士で、明治11年(1878)のフェノロサの来日を追って、ビゲローは明治15年から22年にかけて日本に滞在し、その間に日本美術の蒐集に励んだ。したがって、両者による蒐集が90%余りを占めることから、これらが19世紀末に□る古い蒐集品であることが判明するのである。なお、フェノロサの蒐集品は、後に同じく友人の医師、チャールズ・ゴダード・ウェルに寄贈されているので、両者の名前を取ってフェノロサ=ウェルドコレクションと呼ばれている。 筆者による調査は第二期調査の1990年代半ばに実施され、アン・ニシムラ・モース氏のご配慮のもとに単独で調査させていただいた。対象とする作品は土佐光起による二、三の作品以外、これまでほと物館蔵)につながる草虫図の先行例である。家、1765〜1819)、光貞(光淳次男、別家、1738〜1806)、光んど出版物や日本における展覧会で紹介された形跡のないもので、まさに未知の秘庫をひらくような高揚した気分を何度も経験させていただいた。以下、上記に分類したまとまりに沿って順番にそれぞれの特徴を述べ、併せて個々の作品について適宜紹介することで、この章の解題とさせていただくことにしたい。 まず、室町から桃山、江戸初期にかけての大和絵6点においては、1番の特異な成り立ちの「三十六歌仙画帖」が挙げられる。仙台藩主伊達家伝来という本作は、元は□額であったと推定される室町頃の歌仙絵を後に画帖に仕立て直したもので、人麿、能宣、兼盛の三図が江戸前半頃の後補である。画帖に改装されたのは、見返絵の「明石浦図」と「荻野図」が描かれた18世紀初め頃と見なされる。2番の「源氏物語図屛風」、元は画帖の一図とおぼしい3番の「源氏物語絵合図」は、無款ながら江戸初期の土佐派の作風を示している。繊細に菊花と虫類を描いた5番の「菊竹虫図」の筆者は土佐光継(生没年不詳)で、朝岡興禎編著『古画備考』によれば、土佐光吉の門人とされる。土佐家は室町以来、中国の草虫図を受容してきたが、この「菊竹虫図」は、細密描写で名高い土佐光則筆「花鳥草虫図」(「雑画帖」所収、東京国立博 次いで土佐家の26点は、『古画備考』巻33や『東洋美術大観』第5冊所収の土佐派の項など文献によって知られる系譜を、作品によって具体的に□ることができる標本箱のような蒐集である。内容は、承応3年(1654)に宮廷絵所に復帰した中興の祖とされる土佐光起(1617〜91)から、光成(1646〜1710)、光玉蟲敏子298ボストン美術館の土佐・住吉・復古大和絵派
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