(師宣)「江戸風俗図巻」が確認され、それとのより幅)を作り、京都の西川祐信も中国古典に基づいた(「夏月の図」はフリーア美術館蔵)が、近年、桑原羊次郎133番「玉巵弾琴図」を、長春も能狂言を主題にした89番「柿山伏と遊女図」を描いている。立美人図深い近似が明らかになった。その「江戸風俗図巻」は、歌舞伎芝居、歌舞伎楽屋、浄瑠璃芝居、歌舞伎小屋前、職人尽図、新春風俗、隅田川舟遊、湯女風呂、吉原風俗と続く長い一巻で、師宣筆の「江戸風俗図巻」のなかでも比較的早い天和から貞享前期頃の制作と比定される重要な作品である。その師宣作の、「三浦屋」の暖□の下で本を買う二女性、三浦屋の張見世の描写、遊女道中とそれを見る茶屋の人々が長春の屛風に取り入れられているのである。師宣が「三浦屋」と暖□に書かれた三浦屋四郎左衛門の見世先を描くことはほとんどなかったことを思えば、長春が、秋元子爵家旧蔵「江戸風俗図巻」そのものか、その類似作品を参照したことは確かであろう。 さらに、調査では長春作と認めてよいか議論のあった96番「官女観梅図」も、類似様式の長春作が複数認められることにより、長春の初期作としてよいと考えられる。 長春を含め、初期浮世絵の名手たちが、肉筆浮世絵においても、古典と当世を融合させた風流の造形に積極的に関与したことが確かめられるのもボストン美術館の作品があってこそであろう。諧謔味を加えた古典の変容では定評のある奥村政信が81番「見立羅生門・見立小倉山図押絵貼屛風」、竹田春信は謡曲に依拠した219番「見立石橋・見立江口図」(双を量産したことで知られる懐月堂安度も、68番「雑画巻」のなかに、鬼に西瓜を分け与える鍾馗や、風雨で難儀する渡辺綱と羅生門で居眠りする□木童子といったユーモア満載の作品を入れているのである。 ほとんど肉筆画のない鈴木春信の158番「隅田河畔春遊図」が所蔵されていたのも調査班が驚いた。その門弟でもある鈴木春重(司馬江漢)による159番「雪景美人図」は、江漢の随筆『春波楼筆記』に記されている「冬月の図」に相当する作品として名高い旧蔵の「夏月冬月図」双幅が、中外産業株式会社原安三郎コレクションにあることが分かった。その双幅も『春波楼筆記』の記載と同じ図様、同じ年代のものであり、しかも双幅である。江漢は、春重名を廃し江漢と名乗るようになっても同様の図を制作していることから、「夏月の図」「冬月の図」は江漢の得意の図様として複数描き残したということが判明したことになる。の絵看板が5点も所蔵されていたことである。歌舞伎の絵看板の伝存品は、18世紀以前のものとしては、寛政5年(1793)河原崎座上演、早稲田大学演劇博物館蔵の「潤色八百屋お七」(鳥居清長画と推定されて番「絵看板 錦木栄小町」(宝暦8年〈1758〉中村座)を筆頭に、それより古い絵看板が4点もあった。調査時には、全5点中4点は上演狂言が特定できたが、その折特定できなかった1点(125番)が、□番付との照合により、このほど従来推定していたとおり天明4年(1784)正月市村座「けいせい皐富士」の絵看板と確定したことを報告したい。絵看板と□番付とは、図様が完全に一致するので、両者の絵師は同一と思われる。そうであれば、鳥居派の仕事ということになり、鳥居清長が筆を執った(指揮した)可能性が最も高くなるであろう。 最後に、北斎の肉筆画について述べたい。ボストン美術館に所蔵される北斎の肉筆画は二十数点であり、100点を超すフリーア美術館に数では及ばないが、他に代えがたい重要作を多く含んでいる。北斎美人画の代表作として推奨される大作374番「鏡面美人図」、護国寺の大達磨興行の熱狂を伝える376番「護国寺達磨略図」、北斎の五月幟の唯一の伝品375番「朱鍾馗図幟」、畳の跡から席画と推定される383番「月下猪図」、北斎唯一の袱紗絵である386番「唐獅子図袱紗」、没年である90歳の代表作384番「李白観瀑図」など枚挙にいとまがない。2006年の日本での展観に合わせて復元、公開された389番「龍虎図提灯」、390番「龍蛇図提灯」の記憶も新しいが、調査時には調査対象から外れ、その後に公開されて話題となった、版下絵「書名未詳絵手本」、版下絵「大日本将軍記初輯」とその稿本(下絵)「日本名将伝」も得難い逸品として記しておきたい。 18世紀の肉筆画で調査班が驚嘆したのは、歌舞伎315いる)が唯一であったが、ボストン美術館には、116
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