ボストン美術館 日本美術総合調査図録 図版篇
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明の絵の具でモチーフを描き、油絵のような効果を出す、他に例をみない手法で、進取の気象を遺憾なく発揮している。相似た作例として、「洋風母子犬図」(すみだ北斎美術館蔵)などが思い出される。「丹頂鶴図」には蘆雪が愛用した「魚」変形朱印が捺されている。この印章は1792年から1794年の間に一部が欠けたことが明らかにされているので、まだ完形の本図は、1792年以前の制作にかかることが知られる。 同じく応挙に学んだ山口素絢の20番「嵐山四条河原図巻」は、春の嵐山と四条河原の芝居見物を描いた巻物である。人物の精緻な描写に和美人を得意とした素絢の特徴が発揮されており、また芝居看板が正確に描かれるなど、芸能史上の資料的価値も認められよう。 同じく挙門の八田古秀には25番「妖怪図」がある。琴を前に座る高士あり、背後には竹を描く衝立が見え、上方より妖怪が出現する。輞川別墅の竹林で琴を弾ずる盛唐の詩人・王維の姿は、竹林弾琴図という好画題だが、そこに妖怪が出たという話は聞いたことがなく、画題については研究を要するが、人物をよくして法橋に叙せられたという古秀の秀作である。 応挙を継いだ応瑞の門からは、はじめ渡辺南岳に学んだともいう中島来章が出た。その42番「芙蓉雁図」は、横二尺の幅に対象をすっきりととらえて、安政度造営御所障壁画制作に選ばれ、また「御綺麗」と評された来章の力量をよく示している。跡を継いだ有章の箱書きを伴っている。 はじめ与謝蕪村について俳諧と南画を学び、その後応挙を慕って写生風を習得し、両者を融合して洒脱な新様式を創出、四条派の始祖となったのが呉春である。その過渡期ともいうべき摂津池田時代の作品は、とくに高く評価されている。ボストン美術館には多くの呉春画が収蔵されているが、美術史上注目すべき作品に65番「釈□如来・騎獅文殊像」がある。様式、法量、表装、登録番号からみて一連の作品で、明らかに東福寺所蔵の伝呉道子筆「釈□文殊普賢図」三幅対を写したものである。「普賢図」は失われてしまったのであろう。両幅とも巻止めに呉春い12番「丹頂鶴図」がある。濃い灰色の地に、不透(天理大学附属天理図書館蔵)とは画風に相違があるものWest and Tiger”となっており、西王母にあててい147番「倣安堅楼閣山水図」がある。款記に「倣明みずからの款記があり、1799年、48歳時の制作であることが知られる。 この呉春に学んだ柴田義董の81番「仙女図」は、人物を描くに長じて風致ありとたたえられた義董の力作である。英語タイトルは“Queen Mother of the る。『日本国語大辞典』に西王母を求めると、「『山海経―西山経』によれば、人面・虎歯・□尾・□髪とあるが、次第に美化されて『淮南子―覧冥訓』では不死の薬をもった仙女とされ……」とあり、この「虎歯・□尾」をイメージ化したものとも考えられよう。同じく呉春に就いた小田海僊の88番「群猿図」は、この画家として珍しい画題に挑戦した力作である。猿は森狙仙から影響を受けているが、元明の古蹟を追慕して画法を一変したという海僊の特徴は、むしろ松の描写にうかがわれるようだ。 呉春の異母弟にして四条派を継いだ松村景文の作品も収蔵されているが、むしろ弟子の西山芳園に見るべき作品が多く、とくに104番「箕面瀧図」は特筆に価する。芳園としては珍しい三尺に近い大幅に、修験道の霊場としても名高い箕面の瀧を堂々ととらえている。円山四条派の画家は真景図にもよく筆を採ったが、この作品はとくに印象的な真景図の一作である。芳園は人物花木鳥獣をよくしたといわれるが、「箕面瀧図」は山水にもすぐれた才能をもっていたことを物語っている。芳園の100番「掛□莱図」は鈴木其一の傑作と肩を並べる出来栄えをみせている。 呉春の弟子・岡本豊彦に学んだ塩川文麟の優品に人筆意」とあり、箱書きには「倣明安堅溌墨山水図」とある。言うまでもなく、安堅は15世紀、李朝初期の画家だが、文麟は明時代の中国画家と思っていたふしが強い。安堅の代表作である「夢遊桃源図」の、安堅を含めた李朝山水画に倣ったものと理解すべきであろう。いずれにせよ、四条派の文麟が明代と考える山水画から霊感を得て、このような異色作を生み出したことは興味深い。はじめ岡本豊彦に学び、その後浮世絵を描いて画名を上げた三畠上龍には、189番「美人図押絵貼屛風」や190番「島原太381

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