□いて身構える呂□□洞□□賓surveyと呼んだ―するのは初めてのことで、我々、慌ててひっくり返る従者たち、FAKE(贋作)が殆どだったことがわかる。真作は現16幅と、その中央に掛けられたと思われる43番「文後に施されたものか、当初のものかについて吟味した。 蕭白のボストンコレクションの中からその他の傑作を挙げれば、4番「鷹図□」、5番「朝比奈首曳図屛風」、8番「虎渓三笑図屛風」、9番「楼閣山水図屛風」、11番「飲中八仙図」など。他にも4、5点ある。ボストン美術館は以前はもっと多数の蕭白画を所有していたが、吉備大臣入唐絵巻の購入費を賄うため、館員富田幸次郎氏が一部を売却した。売却に際し撮影した写真が館に現存しており、それらを見ると存するもので20点ほどだが、そのいずれにも見どころがあり、洋の東西通じて蕭白コレクションの随一であることに間違いはない。ただし、22番「山水蘭亭曲水図」は、作風から見て従来蕭白筆と考えられていたものが、落款が異なる点を指摘され、現在ではFAKEの扱いとなった。だが、これほどの出来の作品は、20番から41番に至る、蕭白の弟子たちの作品もしくはFAKEの中に見当たらない。例外は39番「野菊馬図」である。この図に描かれた馬は、歯をむき出したような不敵な面構えをしており、美術館員はこれを〈Sweet and Sour Horse〉と呼んでいた。この図には、蕭白の弟子と思われる「蕭江」の印が捺してあり、蕭白派の異色画家の存在が確認できる。「蕭月」「蕭亭」「惟伯」といった弟子たちの作品も発見された。 伊藤若冲のコレクションは、42番「十六羅漢像」殊・普賢像」がメインで、残るは若冲派を含めて9点である。42、43番の制作年代については検討を要するが、動植綵絵制作以後、50歳代から60歳代にかけての頃と見てはどうか。比較的謹直な描写の「文殊・普賢像」に比べ、「十六羅漢像」には、くつ市美術館学芸員)と調査をおこなった。さらに伊藤若辻惟雄2 近来「奇想の画家」として注目されているこの2人の画家のボストン美術館コレクションは、これまで日本で催されたボストン美術館展で顔なじみのものが多い。 曾我蕭白は1997年、翌年の千葉市美術館・三重県立美術館での「曾我蕭白展」にボストン美術館から出品予定であったことから、伊藤紫織氏(当時千葉冲は2001年、当時東京大学教授の佐藤康宏氏と辻が共同で調査にあたった。以下はその折の調査報告である。 まず調査したのは蕭白および蕭白派の作品約40点である。なじみとはいえ、蕭白・若冲の作品を悉皆調査―ボストン側ではこれをサーヴェイはこの機会に作品の作風、落款や保存状態を観察・記録することを重点とした。 まずは蕭白。1番「龐居士・霊昭女図屛風」は蕭白画の最初期にあたる30歳の時の作であり、彼の特異な個性的画風がすでにこのころ芽生えていたことを知らせる。34歳の作である3番「雲龍図□」は、これまで知られる蕭白作品の中で、最もパワフルでかつ奔放な表現を示している。調査当時は「まくり」の状態だったが、その後、元の□絵の状態に修復され、日本でも展示されて観客を圧倒した。6番「風仙図屛風」は、妖しい風が立ち騒ぐ川辺に、巨大な竜の尾らしき□足状の異物が出現する。剣を抜おっかなびっくりのウサギ―さながら現代のアニメを見るようなこの図も観客を喜ばせた。従来から蕭白の代表作として著名だった7番「商山四皓図屛風」は、完成度の高さの点では「雲龍図□」を凌ぐものだろう。この折には、画面に施された金砂子がボストン美術館の曾我蕭白・伊藤若冲
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