ボストン美術館において、江戸時代絵画は狩野派、琳派、円山四条派、曾我蕭白・伊藤若冲、肉筆浮世絵、その他の雑派に分類されている。一般的には文人画(南画)が立てられるところだが、それは諸派のなかに繰り入れられている。それはボストン美術館の文人画コレクションが、他に比してやや寂しいからであり、その原因はアーネスト・フランシスコ・フェノロサの文人画観に由来するものと思われる。1882年5月14日、フェノロサが龍池会で行なった講演の大森惟中による筆記、いわゆる「美術真説」において、フェノロサは文人画をきわめて低く評価している。いや、否定しているといった方が正しいであろう。その理由は、絵画のもっとも重要な要素である線色濃淡の総合を無視し、筆墨の熟練はあれども妙想なく、文学詩歌の美に依拠しているからである。しかも隠逸の情趣を表現するために画題が限定され、したがって工芸美術の創造に何ら役立たず、先人の画法を繰り返す因習に陥っているからである。その文人画もビゲロー・コレクションやその他の寄贈が多く、フェノロサが関係した作品はほとんどないようである。 ただし、文人画と密接な関係に結ばれている南蘋派は充実しており、フェノロサ=ウェルド・コレクションの優品も少なくない。先に指摘したような文人画の欠点を、南蘋派は免れていると考えられたのであろう。数量的には恵まれないものの、洋風画にも優品が見出される。また日本ではほとんど見ることができないマイナーな画家の秀作も、諸派に繰り入れられていて興味深い。なお、以前であれば諸派に分類されたにちがいない伊藤若冲と曾我蕭白は、質量ともにきわめてすぐれたコレクションであることに加え、京都奇想派としての再評価を勘案し、とくに「曾我蕭白・伊藤若冲」として独立した扱いと蔵)と共通する主題だが、これに比べてボストン本なっている。 京阪文人画では、大成者としてもっとも高い評価を与えられている与謝蕪村の傑作66番「柳堤渡水・丘辺春暁図屛風」がまずあげられる。酣酔行楽のさまを描く左隻は、「山野行楽図屛風」(東京国立博物館は謹直にして静謐である。東博本が俳画調であることを勘案しても、その差は大きく、讃岐遊歴時代以前の作と見なしてよいであろう。道や流れを骨格とする「行路の画家」蕪村の構図感覚が、力強く明快な画面を創り出している。2017年、東京都美術館で開催された「ボストン美術館の至宝」展に里帰りしたことは記憶に新しい。蕪村と双璧をなす池大雅には、61番「堰川秋景図屛風」がある。『在外日本の至宝6 文人画・諸派』(毎日新聞社、1980年)にも「嵐峡泛査図」として登載される大雅の優作である。本阿弥光悦に倣うという小坂本「嵐峡泛査図屛風」と近しい関係にある作品だが、大雅のイマジネーションはより一層自由に羽ばたいているようだ。さらに興味深いのは、大雅堂3代目東山義亮の「桂渡春暁図屛風」と一双になっており、義亮がその由来を款記していることである。 蕪村・大雅のあと見るべき作品は多くないが、近代まで下れば田能村直入の78番「山水図屛風」がある。金地墨画六曲一双の堂々たる力作で、1870年、直入57歳にして芝川百々なる人のために描いたことが、款記により判明する。近代文人画の評価はけっして高くないが、この屛風などは再考を迫るにふさわしく、これがフェノロサ=ウェルド・コレクションであったことも特記しておきたい。近代文人画の雄・富岡鉄斎の作品は、ほとんどすべて清荒神清澄寺の坂本光浄が寄贈したものだが、そのなかから蓮月の賛を有する若描きの85番「藤娘図」を挙げ河野元昭16ボストン美術館の洋風画・南蘋派・南画・諸派
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