ボストン美術館 日本美術総合調査図録 図版篇
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1764年の制作であることが明らかな基準作でもあの53番「孔雀図」双幅は、白孔雀を含む孔雀をライ134番「桜狩・紅葉狩美人図」双幅は師宣リバイバル東□区)の吉田喜平治宛文晁書簡が正副2通も備わっておこう。 沈南蘋派はきわめて充実するジャンルである。南蘋本人の作品もあるが、その門人・熊斐と清人・宋紫岩に学び、江戸へ南蘋様式を広めた楠本雪渓こと宋紫石の25番「柳に黄鳥図」、26番「山水図」、27番「石榴に白頭翁図」は、いずれもすぐれた画質を示している。とくに25番「柳に黄鳥図」は、風にそよぐ柳の描写に見るべきところあり、年記によりる。「秋景山水図」(徳本寺蔵)と相似た近景を構図の中核とする26番「山水図」には、1768年の年記があり、代表作「芭蕉に小禽図」(徳本寺蔵)と同じ「大清南蘋二伝一派」という興味深い印章が画面右下隅に捺されている。 宋紫石と同じく熊斐に学んだ森蘭斎には44番「水辺群鴨図」があり、宋紫石に就いた土方稲嶺には33番「寒山拾得図」がある。「寒山拾得図」は巻止めに「左 寒山拾得図」とあり、豊干と虎の右幅と合わせて「四睡図」であった可能性が高い。南蘋様式を独学習得した伊勢(三重県)長島の藩主・増山雪斎トモチーフとする花鳥のサンクチュアリーといった趣だが、「虫豸帖」(東京国立博物館蔵)を遺した雪斎の強い写生的関心をうかがうに足る双幅となっている。 関東文人画では、言うまでもなく文晁派が中心をなしている。その創始者・谷文晁には123番「四季富士図」四幅対がある。谷文晁といえば富士の画家といっても過言ではなく、斎号の「写山楼」はアトリエから富士山が望まれるところから選んだものだという。したがって文晁の富士は多く伝えられているが、四季に描き分けた作品はほかに知られていないようだ。それだけでも貴重だが、摂州呉田(現神戸市ている点は特筆されよう。大阪歴史博物館の大阪歴史資料コレクションに「□船御用達・吉田喜平治諸願書」があるとのこと、この人である可能性が高いように思われる。文晁の弟に生まれ、因州・池田家の御用絵師とした活躍した島田元旦の128番「福禄寿三星図」は、道教画題として注目すべき一作である。文晁門下生の作品も充実している。喜多武清の101番「唐児図」双幅という人物画にも健筆を揮っの110番「呉道子写鍾馗捉鬼図」は、同じ画題の競を、遠坂文雍の141番「嵐山・淀・佐野渡図」三幅対は大和絵リバイバルを思わせて興味深い。大西圭斎の154番「雪中鴛鴦図」、佐竹永海の144番「常盤御前図」もそれぞれすぐれた出来栄えを示している。文晁弟子・渡辺崋山に学んだという岡本秋暉の158番「花鳥図押絵貼屛風」はすでに名品として知られるところだが、159番「岩上孔雀図」は四季混合という秋暉の特徴を示す典型的作品で、甲乙つけ難いものがある。秋暉に就いた尾口雲錦の162番「白梅孔雀図」は横三尺の大幅で、秋暉の亜流で終るまいとする意欲を感じさせる。 尾張南画の双璧とたたえられる中林竹洞の112番「倣陳容雲龍図」双幅は、南宋・陳所翁に倣って竹洞絹に描かれた作品で、竹洞がこのような画題にも挑戦していたことを教えてくれる。双璧の一方である山本梅逸の113番「玉堂富貴図」は、梅逸花鳥画の典型を示す大幅である。 当時大坂画壇も活況を呈しており、これを大坂派と呼ぶならば、大坂派の雄・月岡雪鼎の門から出た墨江武禅に優品が多い。99番「秋晩微雨図」と100番「前赤壁図」は、「山水を描くに筆作同図なし」とたたえられた武禅らしく、同じ画家の作品とは思えないが、それぞれ見所に富んでいる。同じ武禅がている。雪鼎門人・蔀関月に学んだ中井藍江の105番「呉道子写鍾馗捉鬼図」と、同じく林文波(文坡)演となっている。 洋風画は量的に恵まれないものの秀作が多く、とくに司馬江漢の7番「秋景□雁図」、8番「洋人調馬図」、9番「品川驟雨待晴図」は傑作の名に恥じず、すべて成瀬不二雄『司馬江漢 生涯と画業〈作品編〉』(八坂書房、1995年)に集録されている。7番「秋景□雁図」は『國華』1108号(1987年)にも紹介され、日本にある「冬景□雁図」と本来双幅であったことが明らかにされている。「洋人調馬図」は小田野直武や亜欧堂田善も粉本としたヨハン・リーディンガーの銅版画集『諸国馬図』に依拠した作品であり、「品川驟雨待晴図」は珍しい江漢の風俗画的作品である。 以上の分類からはもれるが、片山楊谷49番「西王母図」、天龍道人46番「葡萄図」、三浦紫畹39番「牡17

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