の(柳澤孝説)。その後の美術館側の調査で、壁画とし(泉「異色の弥勒菩□画像」『学叢』19号、1997年)。いっぽう46・49・77・78・79番はその春日信仰にちなむ作73・76番が挙げられる。24番「弥勒如来二侍者像」13番「尊勝曼荼羅」、31番「普賢十羅刹女像」、3742番「毘沙門天像」は新様式になる鎌倉初期の傑作が代表として挙げられる。17番「法相曼荼羅」は南都諸寺で採用された画題であるが、本作品は類品中の最古で、色調に平安仏画風を残す。41番「四天王像」4面は動勢に富んだ筆法が特色で、南都絵師重命筆の内山永久寺真言堂旧蔵品に当たるとされるもて用いられた金具跡が確認されている。48番「十一面観音来迎図」は東大寺に同図様のものがあり、しかも本図では画面上端に春日本地仏が表されていることから南都との関連が明示される点で重要である。品で、とくに77番は南北朝時代ながら春日社の古い建築形式を描く秀逸な作風で、応永35年(1428)に勧請された旨の裏書がある。また45・46番は画題として珍しい北斗九曜影向図で、46番には春日山景が組み合わされている。52番はおそらく行基像で、53番「慈恩大師像」とともに南都ゆかりの祖師像である。51番は法華寺旧蔵の十六羅漢像で15点が残る。中世前期のやまと絵系羅漢図として稀少な遺例である。 比較的都ぶりを示す作品としては先に触れた21番のほか、13・23・24・25・31・37・42・47・61・は園城寺の弥勒信仰にちなむもの。25番「弥勒菩□三尊像」はその後の研究で、宋代に流行した弥勒図像をもとにした鎌倉新様式の作品で、おそらく鎌倉初期の高僧明恵周辺の制作と推定されるに至った番「大威徳明王像」は平安仏画の余韻を湛える典雅な作風で、34番もこれに加えてよいかもしれない。のひとつだが、いまだに考察の手掛かりがない。23番「釈□三尊十羅刹女像」は京都荘厳寺旧蔵で、三尊が皆金色、眷属が彩色による鎌倉後半の作風だが入念な仕上げ。47・73・76番は浄土教関連の仏画で、それぞれ優美でバランスのよい作風。61番「弥勒菩□図像」は高山寺明恵自筆の注記のある遺品で、教理的にも重要である。ちなみに55番から66番はほぼすべて高山寺ゆかりの図像群で、ビゲローの収集になる。 都ぶりとはいえ制作地の推定はあくまでも便宜的なものである。ほかにも制作地不明ながら秀逸な作風を示すものや、珍しい画題という点で見逃せないものもある。19番「吉祥天曼荼羅」はこの種の画題では最古の例、22番「釈□三尊十大弟子像」3面は皆金色の三尊と着彩の弟子像からなるが、弟子の奇矯な表情と精緻な描写がきわめて特異である。27番「十仏図」は十三仏が成立する以前の図様として貴重。30番「六観音像扉絵」、50番「熊野曼荼羅」、54番「聖徳太子伝絵」などもていねいな作風をみせる。 室町以降、江戸時代までとしたのは80番から232番までの153点。さらに233番から260番までの28点はそれ以外で、233番から255番はフェイクを含む明治時代、256から260番は時代不詳とみなしたものである。 この期間に入るものは数的にはもっとも多く、画題の上からはもちろん、作風の上からも守旧的なもの、宋元画風のもの、水墨画の影響を受けたものなど多様であり、有意味なグルーピングの指針を提示することはできない。いくつか目に留まったものに触れておくのみとする。81番「釈□十六善神像」は、春日山を背景に来迎形式で諸尊を表した中世後半の南都仏画だが、釈□が両手の説法印を胸前で上下に向かいあわせるのは珍しい。95番「十一面観音像」は婆薮仙と功徳天を従えた三尊形式で、背景に整った山水描写を伴う。これも南都仏画であろう。139番「十王図」は岡倉が日本で購入した初期の収集品。二幅対の一幅で画面左に十王のうちの五王と本地仏、右に地獄図を描く。中世六道絵の一資料として今後注目されてよい。161番「法相八祖像」2幅は南都関連の祖師像で、表現の質が高い。素材は舶載絹のように思える。206番「菩提樹曼荼羅」は近世初期の制作ながら、明恵上人の特異な涅槃儀礼において涅槃図・十六羅漢図・舎利帳とともに用いられた菩提樹図の図様を留める遺品と思われる。ビゲロー収集でもあり、高山寺周辺の作品である可能性が高い。室町時代以降の作品5
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